読書がしたい、
と、いつも思っています。
なのに、全然本を読みません。
何故なのか?
それは、
めんどくさいからです。
じゃあ読まなきゃいいじゃん、という話になってくるのですが、読書がしたいのです。
全く読書をしないわけではありません。
明日発売される、ゼロの使い魔、というライトノベル(軽く読める、もはや漫画に近い感じの小説)とかは全巻読んでます。
それから、身近な読書好きの人たちが薦めてくれた本は、借りたり買ったりして読みます。
でも、そうして読んだ本には、読書感、があんまりないのです。
自分で本屋さんや図書館へ行き、気になる本を見つけ、面白さのあまりに、同じ作者の別の本や、それに関連する書籍を探し、それが連鎖していく感覚こそ、読書感、だと思うのです。
そういうわけで、この間ついに駅の本屋で、気になるビジネス書的なやつを一冊買ってみたのです。
しかしこれが、
クソつまんなかった!
伝えたい100の事、とか言って何個か矛盾してたりするし、ことわざを100個勉強したほうがよっぽど為になるな、と思ってしまいました。
気になって調べてみたら、アマゾンの読者レビューもすごく悪かったです。
何も連鎖しない本を買って読んでしまい、心が折れてしまいました。
読書。
なんて奥深いのでしょう。
こんな壁に阻まれても、至福の読書感を得るために本好きは本を求めるのです。
清原のようでいて、全く清原ではありません。
本好きは目の焦点が合わなくなったり、群馬県に行って謎の人物に会ったりしません。
奥さんに命狙われてるんや、と謎の妄想を抱き、斧を購入して身を守ったりしません。
そんな清原。
初犯なので恐らく執行猶予が付くでしょうが、すぐ普通の生活に戻れるのでしょうか?
施設的なところに入るのでしょうか?
奔放過ぎて堪えるべきところで堪えることなくどこまでも落ちていってしまった清原。
堪えるって大切ですね。
堪えた先にきっと至福の読書感があるのだと信じて、今年はたくさん本を読みたいと思ったのでした。
おしまい