司馬遼太郎の「竜馬が行く」の話は社内でも少しずつ、最近社長が影響を受けた本
という認識をしてもらっています。
そこで今日は「振り返ってみると、チャンスは転がっていた」というお話にします。
高校1年で電撃文庫のライトノベルから読書にはいった私は、本を読む、という行為そのものがカッコいいと思っていました。
「学ランは変形で、校則違反とかしちゃうけど、趣味は読書です。」と言いたかっただけです。
普段はラノベしか読まない(趣味読書だけど、挿絵ないと厳しい)のになぜか、父親が持っていた、司馬遼太郎著の「燃えよ剣」(新撰組のお話)を読破した私は
「高校生ながらに、有名な本を読破した俺、すげー!」という感じでした。
なにせ、司馬遼太郎だぜ?お前読んだこと・・・ないよな!
俺はあるぜ!みたいな感じです。
もちろん、燃えよ剣は文字通り「読破」が目的なので、読破まで時間もかかっていますし、楽しくありません。
内容も覚えていないので、るろうに剣心とは違って、本場の燃えよ剣では「斎藤一」は牙突(必殺技)しないんだ、くらいです。
そしていよいよ、マズいポイントが近づいてきます。
なんせ「燃えよ剣を読破した」は「司馬遼太郎」を読んでいます。
むしろすごく自然に、司馬遼太郎好きだよ、に変換します。もちろん能動的にです。
それは高校時代、友人宅に遊びに行った時に起こりました。
これまでの流れから予定調和的に、リビングの本棚に「竜馬が行く」が置いてあります。
私「あ、竜馬が行く、司馬遼太郎じゃん、読むの?」
友人「あー、父親が好きなんだよね」
私「へー、面白いよね、司馬遼太郎の本」
ここで17歳の私は「竜馬が行く」と出会っておきながら、機会を逃しています。
もちろん、読破が目的の当時に読んで、理解できたかはわかりません。
学園アニメを見ていても思いますが、高校生男子はそんなに大人な思考回路もってねーから。と思います。
ただ、チャンスがあったけれど読まなかったのは事実です。
気付かないだけで、そんなチャンスをたくさん見逃している気がします。
かっこつけず、見栄を張らず、日頃からチャンスをつかめるように準備していたいです。
ということで、この記事を読んでいただいた、あなたも
「竜馬が行く」を読む、というより広くして「実のある読書」のチャンスかもしれないですね。
良かった本があれば教えてください。
社員(マザー牧場で自問自答している人)に薦めめてもらった「幸福論」まだ読んでいないけれど。
気温がぐんぐん下がり、冬の寒さになってきました。
体調管理、気を付けてください。
いつもありがとうございます。
おしまい
