手紙が電話になり、電話がメールになり、メールがLINEやSNSになりました。
情報化社会は調べればすぐにほしい情報が手に入り、言葉一つ調べるにも辞書を引く必要もありません。
通話料金高いから固定電話で電話したり、深夜にこそこそチャットしながらオンラインゲームしたり、回線落ちるの当たり前だし、全部親にバレていたと思います。
深夜に起きて、メッセ(MSNチャット)でつなぎながら、オンラインで友人とギルドつくって、ボンバーマンとかよくやっていました。
高校生の時はアドレス変更するのにカッコいい英単語ないかな、と授業中に辞書を引いて中二チックに楽しんだり
グループ作成なんてのもなかったので、アドレス変更しました、を連絡するのも最大5件の送信で何回も頑張っていました。
新聞もネットニュースに置き換わり発行部数も減っていて、知識にしたって最近は自分自身も記憶をウェブやハードディスクに頼っているし試験もないので歴史や公式を暗記したりもしません。
情報化社会は実に無駄のないように思えるけれど、実は辞書を引くときに無作為に目にする単語、覚える必要のない暗記、新聞で目にすれば読むけれど自分では決して検索しない読まないニュースがあります。
そんな無駄の積み重ねがまじで無駄だけど、積み重なって自分の知識になって、いつかその無駄に助けられます。
人間関係も無駄にほつれて喧嘩して悩んで、病んで。
でもその過程を経ないとやっぱり強くはならなくて、渦中にあるときはきついけれど、あとで振り返るとそのきつさとか無駄にまた助けられて。
そんなことを考えていたら、読んでいた本にもそんなことが書いてありました。
昔は初物がありがたかった。
今はそんな習慣もなくなって物事のありがたみが薄れてきているのだそうです。
調べてみたら、なんと発刊は30年も前でした。
なので、30年後には今の情報化社会の効率やICTも「昔は」なんて言われるのかと思うとただの繰り返しです。
ただ、やっぱり人間の歴史を見ると、こんなに電子まみれになることは想定されていないと思います。
土に触ったり、川辺で遊んだり、海に潜ったり、森に入ったりは必要だなと感じます。
そんなに無理しなきゃいけないことも、そうはそうは多くないし、わかんないからやって失敗してみればいいし。
前に向かって続けていたらいつか成功するかもしれないし、成功しなくても前に向かうその過程が大事だし、誰かが見ていてくれるし。
考えすぎずにまずはできる限り必死でやってみてからでも、何も遅くないし。
大丈夫だから根性論ではなく、動いてぶつかりまくって。
いつの間にか強くなっていくから、みんなで強くなって理不尽を押し通してくる大人や社会に対抗できる力を身につけていきましょう。
みんなで強くなれないなら、強いヤツをみんなで支えてトータルで強くなればなんとかなる!
というかなんとかなるようにできていると思うんだよね、社会は。
さすがにそこまで理不尽にはできていないし、大人だって良いヤツいるし。
おしまい